2013年6月25日火曜日

財団法人今西家保存会さん(Imanishis Preservation Foundation) - 橿原市 - 教育関連団体、宿泊施設 | Facebook

財団法人今西家保存会さん(Imanishis Preservation Foundation) - 橿原市 - 教育関連団体、宿泊施設 | Facebook

大国主大神の御子たる事代主神に系譜する古代豪族・十市縣主の子孫として、国譲りから悠久の時を越えて、御仮殿に遷されている大国主大神を、ご修造を終え御本殿に遷す60年ぶりのご遷宮にあたる年に出雲国造84代目千家尊祐宮司様とご対面を果たし得たのは、縁結びに感謝致すと共に、自らの生まれてきた意義をこの瞬間感得致しました

60年ごとのご遷宮の年にあたり、6の倍数の6月18日だったからです。
かつてその昔、3本を一つに束ねて六角、18本の柱でご本殿を支えられていたからです。
参拝が終わると、上がっていた雨が降り出しました。

千家宮司様を今西家の原点の地である十市御縣坐神社を案内する事をお約束しました。

2013年3月5日火曜日

民家は生きてきた

『本瓦ぶきの屋根には、草が生え、隅木は折れて瓦は破れ、雨水は遠慮なく屋内に降りこみ、土間に立つと二本の太い柱が、傾いているこの建物を辛うじて支えていたが、建設当初の面影を想いうかべる事ができたから「腐っても鯛だ」と解った。

また、今までにこういう種類の民家を見たことがなかった。
一般に民家というものは、外観は地味にしても内部には凝るものである。
ところがこれは、それとも全く逆なのである。
今様にいえばこれは「つっぱりすぎた」建物なのである。
この建物は道の真ん中にいでたち行く手を塞いでいるように見え、傷だらけになりながらも必死で町を守ろうとするその姿に民家というよりも天守閣を思わせた。

しかし、今は見るも無残な建物で倒壊しやしないかと心配する有様である。
そうした状態はもう二百年、またはそれ以上続いてきたに違いない
そうであるのに、この建物が取り壊されないで、残されてきたのは何故だろうか。
人間の創った技術や文明が人間生活を高め、住み心地をよくするというのに、代々の人たちは何故その不便にも耐え忍んできたのだろうか。

現代文明の利器が人間の幸福を高めるどころか、明日の生存そのものさえ脅かすように、新しいものは決してその家を支えはしないと考えていたためだろうか。
確かに建物の古さは、格式の象徴としては人間よりも信用できるものがあったかもしれない。
歴史というものは、たとえ論理的に整然と体系だっていたとしても、頭の中の架空の構成に過ぎない間は、私たちの生きる哲学になることは少ないと思うからである。
恐らく目に見える建物を通して感覚的に理解した方が、より身につくであろう。
すぐれた歴史の叙述は小説のようなものである。
なぜなら、それを全人格的に感覚的に理解できるからである。
そこにある民家は、まさにそのものなのである。
民家はそこにあるのが大事だと思う。

博物館や民家集落は、やむをえない養老院のようなものである。
そのままそこに放っておいたのでは消えてなくなってしまうので、やむをえず私たちはそこへ収容するのである。
そして、そこにある民家は弱々しく、生き返ることなきミイラのようなものである。
もう民家はだれもつくりはしない。
民家らしきもの、民家風の住宅、民家調の店、民家の細部を利用したものをつくりはするけれど、もうだれも昔ながらの民家そのものをつくりはしない。
農民たちにとっては茅を入手することは極めて困難なことになってしまい、今ではその屋根の維持をもてあまし、この家はプライバシーがないと嘆く。
そしてある民家では、家族たちは決して住みはしない。
昨日こわして今日再建された住居は民衆の住居にちがいないけれど、それは、いわゆる民家ではないし、だれも民家と呼びはしない。
それゆえ民家の社会的機能は喪失しつつあると言えよう。
社会的機能をもたないものは存在理由を失い、やがて消滅するだろう。
かつての竪穴住居がそうであったように。
それは誰も疑うことはできない。
民家の消滅を阻止するためには、民家集落というような露天博物館に移築し、陳列品としての機能をあらたに与え、飾り保存しておくより仕方のないものだろうか。

私たちは次のことをよく知っている。
すなわち、民家は現在ある状態よりも、使いにくく不便になり、現代生活に即応しなくなったとしても建設当初の姿に戻した方がはるかに美しく魅力的であることを。
現代生活が要求する機能に合致させようと思うならば、その美しさは必然的にそこなわなければあらないことを。
これは確かに、封建時代に育ち封建時代に大成された民家の現代社会における悲劇的な運命の一つの側面を物語るものである。
もしそうであるならば、私たちは民家を捨て去るべきだろうか。
私たちが未来の生活を夢見るとき、ひとり民家のみが過去に向かって保守性を強調しなければ美しくありえないとしたら、もはや民家の崩壊を阻止することはできないのであろうか。
確かに、もはや滅びゆくものへの郷愁のみでは民家の社会機能を回復する事はできないであろう。

しかし、民家の中に現代の建築イデオロギーに示唆する何かを発見することができる。
私はそう思う。
現代のデザイン・イデオロギーに行き詰まりを感じた建築家たちのある者が民家を凝視するのは、象徴的で有意義な空間概念が内在するらしいと直感的に悟っているからだと私は思う。
私たちが何かを捨て去り無視するのは、その中に現代的な価値を見いだせないという貧困さに起因している場合が多いことを知っている。

それは、滅びゆく民家が残してゆく虎の皮のようなものであるかもしれないが、十六世紀の茶人たち―彼らは、民家を彼らの芸術の原形のひとつとして関心を持ち、「美の対象」とみなした最初の人たちである。
彼らは、その中に寂びた美をみつけて芸術という高さにまでたかめ、それは茶室建築と、いわゆる数寄屋建築というそう双生児を生みだすにいたった。
彼らは民家を原形としてつくりだした茶室を通して、デザインを中世の宗教の桎梏(しっこく)から解放した。
庭園も建築も、中世においては何らかの意味で仏教哲学の何かを具象していかねばならなかったが、茶道の演技場としての茶室は純粋な美の対象と見なされていた。
そして、民家は演技場が視覚化され造形化されるときの媒体であり原形であったのである。
すなわち、彼らは茶道美学の原形を民家の中に発見したのである。
鎌倉・室町の封建領主たちが、民家を在家役や棟別銭(租税)の対象としか考えることができなかったとき、茶人たちの多くが、まったく別種の価値を民家の中に発見した功績は偉大であったといわなければならない。
それは彼らの多くが堺と今井の町衆であった事実と決して無縁ではなかっただろう。
そして、まもなく封建領主でさえもその価値を認識し、彼らの弟子になるのである。
民家という散文を削り落し付き詰めた究極の芸術文化こそ茶の世界である。
茶室は、「民家の和歌」といってもよいのではないか。
 誇り高き現代人としての自尊心を持っているならば、祖先への郷愁としてではなくして、むしろ輝かしい構想力に満ちた未来への現代的象徴として民家を保存すべきであると考える。』と当時の今西家を追想され、今後の民家の存在意義や可能性について綴られておられます。

伊藤先生にお会いして強く言われたことは「家は住みながら育てて美しく熟成させていくものだ」という言葉です。
また、先生は美観地区の倉敷との縁が深く、長らく町づくりの顧問をされていました。
倉敷の失敗と成功から学びとり、試行錯誤して今井町独自の町づくりをしていかねばならないことを危惧しておられました。

そして、町づくりは住民の誇りと相互理解と「絆」がなければできません。
家にとって最も大事でかけがえのないものは、建造物や調度品を相続する事よりも愛着を子孫に引き継いでいくことであります。
家には愛が必要不可欠であり、それによって強くしなう「大黒柱」となり、家を支えていくのではないでしょうか。
家には、血脈、涙、汗が流れていなければなりません。
家は住まなくなったら途端に傷みます。
まさに、家には住人の魂と生命が宿り、「絆」の結晶体である家を育ててゆくものではないでしょうか。

しかし、民家を保存維持管理していくのは、生活様式が著しく変化した現代を生き抜く我々にとって容易なことではありません。
江戸時代には、家族やその家にかかわる人がそれぞれ分担して管理していましたが、少子化による核家族化などによって管理がゆき届かなくなりました。
例えば、庭を5~6人がかりだったでで雑草をひいていたのを夫婦2人でするのは、思っている以上に負担がかかります。また、瓦は50年毎に葺き替えなければなりませんし、漆喰も傷んできます。
それを克服するためには、業者に依頼したりしなければなりませんし、住んでいる者がやせ我慢しなければならないことも多々あると思います。
民家を維持していくためには費用と時間がかかるのは事実です。
民家という文化は、代々の愛着精神の積み重ねで、時代を生き抜いてきた証であります。
それは、代々の汗と涙の生活文化であり、権力者の生活文化などと一線を画して保存していかなければならない文化だと考えます。
民衆による執念の生活文化は、民族にとってかけがえのない独自のものであり、それを保存していく姿勢がその国の文化の高さの象徴や基準になるのではないでしょうか。

民家は辛うじて生きてきました。そして今後、民家は生き続けなければならないと切に思うものであります。
重要伝統的建造物群保存地区内今井町の重要文化財今西家において歴史と伝統を引き継ぎながら現代の住まいになじむ快適な暮らしと現代生活にマッチした新しいしつらえを施して、「温故知新」の知恵を絞って形成し発信していきたいと念願しております。
世界に誇るべき日本の文化と伝統を守り、次の世代に伝えるためには、持続可能なビジネスモデルを形成しなければなりません。
そのために、重要文化財今西家を活用してステイ事業と伝統文化研修やセミナーなどの体験事業を運営していこうと考えております。

また、規格大量消費社会になって古来からあった原風景の町並みが消え去り日常の暮らしの中で触れることの少なくなった日本の伝統工芸品を実際に使用して体験して頂き、基礎知識を実際に学んで頂きたく考えております。
「住み続ける形」で残すことを最大のコンセプトにして、それを国内のにならず海外からの観光客になぜか懐かしい「ふるさと」に帰ってきたという癒しスペースとゆったりとしたくつろぎをシェアして参りたいと思います。
また、車で1時間程度で行ける京都の伝統産業のお店で、遊び・学び・町歩きを楽しみ、食を堪能し、京都ファンそして、ニホンファンを増やし日本力に貢献出来ればこれ以上の幸せはありません!


財団法人今西家保存会

2011年12月3日土曜日

奈良県橿原市今井町・今西家住宅

毎年 5 月の第2土・日曜日に 「第16回今井町並み散歩」 が開催され、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている今井町を来訪者の方々に見てもらい交流するため、重要文化財の公開・今井六斎市・茶行列・各種コンサート・フリーマーケット等が行われ、期間中毎年約3万人以上の方々が訪れられます。

今回は5月7日から15日まで期間を延長して「大震災被災地のために何ができるか」と題し、被災地支援行事として開催され延べ約5万人の来訪者が来られました。
財団法人今西家保存会としては、重要文化財今西家および向かいの今西家新屋(チャリティー展)に日本赤十字社奈良県支部から貸し出された募金箱を設置しました。

「第16回今井町並み散歩」義捐金合計275,044円(うち財団法人今西家保存会67,747円)を今井町町並み保存会若林稔会長と一緒に日本赤十字社奈良県支部松田事務局長に持参し託して参りました。

皆さまのご善意とご浄財に心よりお礼申し上げます。
合掌。

--------------------------------------------------------------------------------

財団法人今西家保存会は、今西家住宅の一般公開を行っております。
(入場料)
大人 400円
中学生以下 200円
10名以上の団体割引300円(中学生以下100円)
いずれもパンフレット付きです。
※建物保護のため土間からの見学とさせて頂きます。
(休館日)
毎週月曜日(祝日の場合は次の平日)
その他必要のある場合にさせていただきますのでご理解のほどお願いいたします。
 10:00 ~ 17:00(16:30までに入館)
皆様のご来場を心よりお持ち申し上げています。

--------------------------------------------------------------------------------

【直心の会会員の募集】

●約7割が森林におおわれ木の文化を持つ私たち日本人がうわべやカタチだけの呪縛を解き放ち本当の直心(真心)の交わりの創造を提案していきます。

茶道天下三宗匠(千利休、津田宗及、今井宗久)のひとり「今井宗久」のゆかりの地である今井町から茶道の真髄を蘇生させうるべき「今井ルネサンス」を為し得たいと強く切望し、日本文化に啓発を促してゆければ今井宗久へのオマージュになるものであると考えています。

つまり、真心を見つけ得るべく和の精神をモットーにカタチだけの呪縛を解き放ち、自由で万人がなごみ得る空間の創出でなければなりません。
そこには、海外のひとからも受け入れられ得る文化があると考えております。
●献立は四季によって変わり、会員は年間を通して決められた予約に従って、毎月足を運んで頂き和の食楽膳のひとときを共に致します。
一回きりではなく、会を重ねていくことこそが「エイジング文化」の良さであると考える所以であります。

●「直心の会(和の食楽膳)」へは、食楽会員様と同伴者の方に限り参加可能ですのでご理解賜りますようお願い申し上げます。

※直心の会については、今西家保存会事務局(メール 
info@imanishike.or.jp もしくは      
TEL 0744-25-3388)
までお問い合わせくださいませ。

--------------------------------------------------------------------------------

いま、コンベンションやイベントは大型コンベンションセンター(都市ホテル、文化ホール)から本物志向へと流れています。

企業のコンベンション、イベント等につきましても随時相談してください!

--------------------------------------------------------------------------------
Imaicho Town is an unusually large preserved historic district located near Asuka in Nara Prefecture. While preserved districts in Japan are usually limited to a few buildings or perhaps a street, a visit to Imaicho allows visitors to wander through the many alleys of an entire small town. However, Imaicho is not maintained entirely in its original state, and telephone wires and vehicles may occasionally intrude on the historical atmosphere.

Imaicho began as a temple town centered around Shonenji Temple, which is still standing after being burnt down and rebuilt many times over its history. During the Azuchi-Momoyama Period (1573-1603) the town was initially opposed to the powerful warlord Oda Nobunaga, who was trying to limit the power of the larger temples. Imaicho was surrounded by a moat and heavily armed, but through negotiations armed confrontation was avoided and the town was allowed some degree of autonomy.
During the following years, the town was able to flourish as a merchant town, engaging extensively in trade with other towns such as Osaka and Sakai, and the citizens became very wealthy. Every household was able to use tile for their roof, instead of the more common and inexpensive straw, and they even began to lend money to the samurai. Unfortunately, after the samurai system had been terminated in 1868, the town was not able to recoup its money and fell into decline.
In addition to walking through the streets and visiting Shonenji Temple, visitors can enter a few of Imaicho's preserved buildings. There are three residences that are open to the public: Foremost among them is the Imanishi Residence, the oldest and most impressive of Imaicho's residences. Dating back to 1650, it accommodated the town's most powerful family, the Imanishi Family, whose members acted as town administrators.
The Imai Machiya-kan near the temple and the Yonetani Residence are also open to the public. Both double functioned as shops and residences of merchant families specialized in hardware products. Furthermore, tourists can also visit the Hanairaka information center just southeast of the preserved area, where there is a model of the town and a few old photos on display.
How to get there Imaicho is located a short walk west of Yagi-Nishiguchi Station and less than a ten minute walk from Yamato-Yagi Station. The town can also be reached by rental bicycle in about 15 minutes from Kashiharajingu-mae Station.
Hanairaka Information Center Hours: 9:00 to 17:00 Closed: Mondays (or following day if Monday is a national holiday) Admission: Free
English: None

Imai Machiya-kan and Yonetani Residence Hours: 9:00 to 17:00 (closed for lunch from 12:00 to 13:00) Closed: Mondays (or following day if Monday is a national holiday) Admission: Free English: None
☆Hours and Fees Imanishi Residence House: 10:00 to 17:00 (entry until 16:30) Closed: Mondays, Obon (August 16 to 22), New Year (December 25 to January 6)
Admission: 400 yen
English: None

The Imanishi Residence Preservation Foundation
3-9-25,Imai-cho,Kashihara,Nara
phone:81-744-25-3388
E-mail : info@imanishike.or.jp